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嬉しい再会

走馬灯の様に…

と言う言葉をこういう時に使っていいものか知らないが、いやそもそも走馬灯すら知らないか。

ともかく、いわゆる引き出しの奥の方にしまってあって、普段はあまり出すことのない過去の記憶が、一気に湧き出てくるこの感じを「走馬灯のように」というのなら、そんな事がイキナリ起こった。

大学を卒業後、最初に就職した会社には、5年半ほどお世話になったが、その時代に公私ともに大変お世話になった元上司がご家族と一緒に食べに来てくれた。直接会うのは何年ぶりだろうか。確か退職直後にわざわざ食べに来てくれた以来だから20年くらいか。ヤケドで入院してたことも知っていたらしく、気にかけていてくれてたらしい。

ご家族とも当時何度も顔を合わせており、お家でのお食事に何度も誘って頂いた。というか現在もお住まいのお家へのお引越しもお手伝いしたなぁ、みなさん変わらない表情におもわず泣きそうになった。

昨日休みの日に観た映画『イエスタデイ』のせいもあるのかもしれないが、気分がちょっとセンチメンタルかも笑

いい映画でした。

変わらない…とはいえ、当時小学生だった2人の娘さんたちは、当時の雰囲気を残しつつ超絶美人になってて、すでに2人とも結婚していた、長女のカナちゃんに至ってはお子さんも2人いる。
相変わらず優しいほんわかした奥さまも、あれで孫がいるとは思えないといった感じだった。


よく連れて行ってもらった足立区竹の塚の飲み屋さん、いつもなにかと一緒にいた仲の良いご家族、そして勤めていた会社、一緒に働いた方々の現在、何もかも懐かしい。会話をしながら忘れてた記憶がよみがえり、自分の引き出しから出してきた記憶とのすき間をパズルの様に埋めていく。

あぁ自分にもこんなにも嬉しく思える過去の記憶があたったんだ。

そう思えてなんだか嬉しく、清々しい気持ちになった。

サラリーマン時代は、もちろん楽しいことも勉強になったこともたくさんあったが、今思い出されることは苦しかったことや、大きなミスをしたこと。トラブルがあった時にかかってくる電話。他人の携帯電話の着信音が自分のものと同じ着信音だった時のゾッとした感覚。そんな嫌な思い出ばかり出てくるものだった。


よく藤村先生がこのツイートをしてることを見かけるが、いつもピンとこなかった。変えられるわけないじゃん。って思ってた。もっと昔の記憶、大事なところで見逃し三振した時やウソをついて親に怒られたこと。変えられない過去の記憶として頭の中に残ってる。

でも今日、なんとなく意味がわかったような気がする。

確かに思い出すと嫌になる記憶もあるが、振り返ればそれもごく一部。それにもう当然ながら過ぎたこと。楽しかったことも、苦労したことも、申し訳なかったことも、そのことがあったから今がある。今の自分を形成しているのは過去の自分。今の自分を好きに、好きとは言わずとも肯定してこそ前に進める。今の自分を肯定するなら、過去の自分も肯定すべきだ。

ふと思い出した絵葉書。。。誰が書いたのか? 隠してもバレバレだけどw

現在も未来には過去になる。

今置かれてる自分の状況も、良き思い出として思い出せるように、がんばりたいと思わせてくれた今日の嬉しいサプライズ。再会の嬉しさ以上に、いろんな意味でありがとうございます。

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